[目次]
序 章 ローマ字運動はかがやいていたのか 1
1 日本ローマ字会の解散 2
2 ローマ字運動がかがやいていた時代 10
2―1 『輝くローマ字運動』(一九三四年)から 10
2―2 時代を支えた人物 16
3 本書の構成 21
参考@ 日本ローマ字会とローマ字ひろめ会 27/参考A ヘボン式つづり方と日本式つづり方、そして訓令式ローマ字 30
注 33
第一章 森馥という人物 37
1 略歴 38
1―1 生没年 38
1―2 父について 39
1―3 学歴 39
1―4 職歴 41
2 弁護士事務所と納税額 43
注 45
第二章 森馥の一九二〇年代――判事から弁護士、そして「統一主義」へ 49
1 はじめに 50
2 最初期に書いたもの―条文解説書の文体 52
3 『中央法律新報』と法文の口語化 54
3―1 片山哲と『中央法律新報』 54
3―2 一九二〇年代における法文口語化のこころみ―「法の社会化」のために 56
3―3 穂積重遠と『中央法律新報』―法律の「ポピユラライズ」 61
3―4 公文書の口語化のうごき 65
3―5 『中央法律新報』への寄稿 66
森馥と片山哲 66/「問題は「不当な金員」」と「漫録 反古の中から」 67/片山哲『婦人の法律』の書評とその問題 68/女性弁護士の資格をめぐって 70/森馥と片山哲の差異―上からの統制と権利の希求 72
4 世界平和をめざして 75
4―1 『人類億年の大計』の刊行 75
4―2 「控え目」であること―「弁護士の私経済」から 78
5 おわりに 81
注 81
第三章 森馥における言語運動の実践@――ローマ字運動への参加と「日本語をよくする会」の結成 89
1 はじめに 90
2 『学士会月報』の国語国字問題 92
2―1 『学士会月報』とは 92
2―2 一九二〇年を前後する国語国字問題 93
2―3 『学士会月報』をみる 95
4―3 森馥と『学士会月報』 95/一九二六年から二九年にかけての国語国字問題 96
2―4 『学士会月報』と日本式ローマ字―「ローマ字円舞曲」(一九三五年)から 106
3 日本ローマ字会入会と言論活動の開始 112
3―1 菊沢季生の論考から 112
3―2 「正しき国語」(一九三〇年一〇月〜一一月) 116
3―3 「ローマ字の世界的普遍性」(一九三〇年一一月) 121
3―4 「ワガ国 文章 ノ 複雑」と『十軒長屋の明渡し』(一九三〇年) 126
3―5 「大審院と口語体判決」(一九三〇年一一月) 130
3―6 「称呼「中華民国」について」(一九三一年三月)―漢字の共有の問題点 131
4 日本ローマ字会総寄合出席と「日本語をよくする会」 133
4―1 日本ローマ字会総寄合初出席 133
4―3 日本ローマ字会第六回総寄合(一九三一年一〇月二四日) 133/選別される会員―会員区別をめぐって 135/諸決議への疑義 140/日本ローマ字会の定期刊行物について 145
4―2 『学士会月報』への寄稿と「日本語をよくする会」の結成 149
4―3 『学士会月報』への寄稿 149/「日本語をよくする会」の結成 152/「日本語をよくする会」がめざしたこと 151/「日本語をよくする会」がおこなったこと―議会への請願 158
5 政治運動としてのローマ字運動 163
5―1 「ローマ字運動の真の意義」(一九三三年) 163
5―2 「国字改良運動を見直す」(一九三四年) 165
5―3 日本ローマ字会定款改訂(一九三四年)と「一点を衝け」・「新定款を見直す」(一九三五年) 166
5―4 「ローマ字運動を見直す」(一九三五年) 171
5―5 政党の結成? 172
6 おわりに 175
注 176
第四章 森馥における言語運動の実践A――判決文口語化をもとめて 187
1 はじめに 188
2 判決文口語化へのうごき―散発的こころみとして 190
2―1 台湾 一九〇七年 190
2―2 朝鮮 一九二二年 191
2―3 内地 一九一七年 192
3 国語愛護同盟の結成と判決文口語化―意識的なうごき 193
3―1 国語愛護同盟の結成まで 193
3―2 国語愛護同盟と森馥 195
3―3 一九二九年から一九三三年の「中絶」 196
3―4 国語愛護同盟法律部第一回座談会(一九三三年一一月) 197
4 森馥の判決文口語化論 200
4―1 「大審院と口語体判決」(一九三〇年一一月) 200
4―2 「法律語の平易化」・「素直な法律語の摘出」・「大審院判決の文章の進み方」(一九三二年)・「再び大審院判決文章の進み方について」(一九三三年八月) 201
4―3 『言葉拾ひ』(一九三三年三月) 202
4―3 判事の協力をもとめて 202/判事・金沢潔の協力 204/保科孝一とのつながり 206
4―4 一九三三年一〇月の口語体判決をめぐって 207
4―5 事務改革と口語体―「司法制度改善の諮問案について」(一九三四年一〇月) 208
4―6 「砕けた」口語体判決―「潮判事の口語体判決に就いて」(一九三四年一二月) 209
5 国語愛護同盟法律部の活動と森馥 211
5―1 火つけ役としての穂積重遠 211
5―2 口語体判決案と森馥の反応 216
6 国語愛護同盟から国語協会へ 221
6―1 国語審議会との連携 221
6―2 国語協会法律部へ 222
4―3 『判決の口語化 その他』(一九三九年) 222/『裁判所へさし出す 口語体書式集』(一九四一年) 224
7 国語協会会員による口語体判決文 228
7―1 藤江忠二郎の場合 228
7―2 『口語体判決集 民事編』(一九四二年)から 230
8 宣誓書の口語化 234
8―1 宣誓書口語化のこころみ 234
8―2 宣誓書口語化の実現 237
8―3 森馥「新宣誓文の思想」(一九四〇年) 239
9 おわりに―判決文口語化のゆくえ 242
注 251
第五章 森馥における言語運動の実践B――「ことばひろい」と「ことばなおし」 263
1 はじめに 264
2 「日本語臭い新語」をつくる「ことばなおし」 268
3 『言葉の動き』(一九三二年)―「ことばひろい」の実践とローマ字への道 272
4 『言葉拾ひ』(一九三三年) 276
5 『陸軍用語の建直し』(一九三三年)をめぐって 280
5―1 『歩兵須知』と「軍人勅諭」からの「ことばひろい」と「ことばなおし」 280
5―2 「まことの国語意識」 285
5―3 「方言」への視線 290
5―4 陸軍用語簡易化への批判と『兵器用語集』(一九四〇年) 292
5―5 医学用語の「ことばなおし」 293
6 『法律語の建直し』(一九三五年)をめぐって 296
6―1 日本精神論としての「ことばなおし」 296
6―2 森馥の日本精神論と漢字・漢語・漢学 298
6―3 『法律語の建直し』 301
6―4 「ことばなおし」の実践 310
帝人事件に関連して―「人権蹂躙について」(一九三五年三月) 310/「俳句とローマ字と」(一九三五年四月)ほか 313
7 『文字と言語』で展開された「ことばなおし」論 317
7―1 「唯物論言語理論」と『文字と言語』と森馥 317
4―3 斎藤秀一と「唯物論言語理論」 317/『文字と言語』について 322
7―2 「Kotoba? Gengo?―漢語を見直す」(一九三五年一月) 324
7―3 斎藤秀一と森馥の「ことばなおし」論議 327
7―4 「復古主義」「道徳が廃れる」という批判―五十嵐篤・木下杢太郎 333
7―5 山本有三の批判 338
7―6 『文字と言語』終刊後の「ことばなおし」論 340
4―3 国語協会への入会 340/基礎日本語と「ことばなおし」 341/森馥「言葉直しと基礎日本語との関係」(一九三九年)344
8 おわりに 346
注 347
第六章 森馥と「ローマ字運動の本質論争」――一九三〇年代後半の日本ローマ字会をめぐる社会状況 359
1 はじめに―一九三七年の「会員倍増し運動」とその背景 360
2 「ローマ字運動の本質論争」の時代背景 374
2―1 『ローマ字の早稲田』第一号(一九三五年一〇月)の構成 374
2―2 「ローマ字論に於ける国粋主義と進歩主義との対立」(一九三六年四月) 380
「国粋主義」の論調 380/「進歩主義」の論調 382/落合英雄「ローマ字運動の本質」(一九三六年三月) 383/落合英雄「ローマ字運動の本質」の背景―高倉テル・大島義夫・「日本語の合理化」論争 387
2―3 森馥の「ローマ字精神」と「世界の進むべき道」そして「没我思想」 392
3 「ローマ字運動の本質論争」の思想性 399
3―1 森馥「ローマ字運動の本質」「日本の政党と国字問題」(一九三六年五月) 399
3―2 『ローマ字の日本』(一九三六年八月一五日)の諸議論と落合英雄「「ローマ字運動の本質」について」 401
3―3 森馥「再びローマ字運動の本質について」(一九三六年九月一日)と落合英雄「思想性の問題」(一九三六年一一月二一日) 405
3―4 森馥「ローマ字運動と思想性」(一九三六年一二月)前後 408
3―5 ローマ字運動の大衆化をめぐって―柴田武と片山睿 411
4 「ローマ字運動の本質論争」の展開 414
4―1 Kôtiyama-N.「ローマ字論の貧困」(一九三七年六月)をめぐって 414
4―2 「森馥「徒らにhidari-garuな」と「教育会議と世界の平和」(一九三七年六月)、そして『ローマ字世界』一九三七年七月号 417
4―3 Kôtiyama-N.「なにがHidariだ?」と森馥「Kôtiyama Kunに答える」(一九三七年七月) 422
4―4 松下秀男「生産点に立つコトバ」(一九三七年八月)と高倉テル 424
4―5 「特集 言語運動の提携」と森馥「健全な 若人に呼びかける」(一九三七年九月) 427
4―6 森馥「日本ローマ字会定款第二条の精神」(一九三七年一〇月) 434
4―7 森馥「思いやり主義」(一九三八年二・三月) 440
4―8 高倉テルと日本ローマ字会) 445
『ローマ字世界』への寄稿 445/西田幾多郎「学問的方法」のローマ字化 448
5 「ローマ字運動の本質論争」と「ことばなおし」―「大衆のことば」とはなにか 452
5―1 斎藤秀一「ローマ字化と言葉直し」(一九三八年四月)をめぐって 452
5―2 松下秀男「「言葉直し」の本質」(一九三八年六月)をめぐって 454
5―3 森馥「言葉直しについて」(一九三八年八月) 459
6 「ローマ字運動の本質論争」余波―日本ローマ字会第一三回総寄合(一九三八年一〇月二三日)前後 461
6―1 手つなぎの問題携 461
6―2 「低級ローマ字問題」の提起 463
7 斎藤秀一の検挙と「左翼ローマ字運動事件」の衝撃 468
7―1 検挙の嵐と日本ローマ字会の対応 468
7―2 森馥の対応 471
7―3 日本ローマ字会第一四回総寄合(一九三九年一〇月一五日) 474
8 おわりに 483
注 485
第七章 『口語辞典』をめぐって――「ことばなおし」の到達点 509
1 はじめに 510
2 『口語辞典』刊行まで 516
2―1 岩倉具実と福永恭助、そして高松宮宣仁 516
4―3 岩倉具実 516/高松宮との関係 519/福永恭助 521
2―2 福永恭助と『日米戦未来記』およびその後 524
3 『口語辞典』のあとに 528
3―1 「口語辞典のために」 528
3―2 反響 531
3―3 柴田武の「ことばひろい」 534
3―4 森馥の反応 537
4 おわりに 542
注 543
第八章 「大東亜戦争」下の日本ローマ字会、そして森馥 549
1 はじめに 550
1―1 第一五回総寄合(一九四〇年一〇月二〇日)と「ことばなおし」 550
1―2 大政翼賛会文化部への回答(一九四一年一月) 553
1―3 第一六回総寄合(一九四一年一〇月一九日) 556
2 日本ローマ字会の主張ふたつ 561
2―1 「大東亜共栄圏」への日本語の普及―田中館愛橘会長の主張を軸に 561
2―2 「大東亜共通文字」としてのローマ字 573
2―3 第一七回総寄合(一九四二年一〇月二五日) 585
3 森馥の「大東亜戦争」 587
3―1 『興亜経済』への寄稿 587
3―2 「ことばひろい」と日本語表記論と文学趣味について 593
3―3 遺稿と訃報 599
4 おわりに 602
注 603
終 章 敗戦後のローマ字運動・点描 611
1 第二〇回総寄合(一九四五年一〇月二八日) 612
2 敗戦と「ことばなおし」 618
2―1 鶴見俊輔「言葉のお守り的使用法について」(一九四六年) 618
2―2 「学問と学問言葉」(一九四八年) 620
2―3 六〇年後の回顧 625
3 『口語辞典』その後 628
4 「低級ローマ字問題」の解決―「みえないローマ字化」について 634
5 梅棹忠夫の挑戦 638
5―1 『日本語の将来』(二〇〇四年) 638
5―2 ローマ字からカナへ―『知的生産の技術』(一九六九年)から 640
5―3 カナからローマ字へ 643
5―3 森馥と梅棹忠夫 646
6 「二表記社会」へのこころみ 648
注 650
あとがき 655
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