教養の教育学

[著者]森川輝紀

人間が人間として存在している限り、教育的プロセスを経て存在している。その体験・経験にもとづいて、誰しもが言葉を獲得すれば、教育について語ることができる。しかし、何が正解なのか問われることもあるいはそれを求めるための手続き(方法)が共有されることもない。「教育学」という学問は、そうした手続き(方法)を明示するものでなければならない。その方法が共有されることによって、一つの事実に迫ることが可能になる。そのためには、「教育の論理」という共通の土俵に立つことである。教養としての「教育学」は、そうした共通の土俵の形成にかかわる学問である。

定価=本体 1,800円+税
2015年6月20日B6判並製/ 236頁/ISBN978-4-88303-385-0


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[目次]

序論
  生活との乖離と科学の発達 2
  近代国民国家と「教育学」 2
  規範的教育学と科学的教育学 3
  教育の素人談義 6
  教育的通念への挑戦 6
  教養科目の「教育学」と教職科目の「教育学」 8
  教育問題の解決のために――専門家と普通の人々 10
  付論:道徳教育について――主体的判断力の育成 15

第一章 教育という言説と日本社会 20
  漢字の語源――教育 21
  和語のおしえる=教える 23
  なぜ、「教育」は近代に登場するのか 24
  現代と総合的学習の時間 26

第二章 二足直立歩行と教育 30
  人格概念と教育 30
  生理的早産説と身体 31
  成長・発達と進歩 34

第三章 教育のパラドックス 39
  教育のための子殺し=@39
  戦争と教育 43

第四章 シツケの世界と体罰の世界 53
  宣教師の見た日本の子育て 53
  シツケから躾へ 61
  ウソと笑い 65
  付論 1  西岡常一の世界 69
  付論 2  わかる≠ニいうこと 73
     「知る」から「わかる」へ 73
     「わかる」ことと表現すること、伝えること 78
     文化としての学力問題 79

第五章 教育と学校の思想 87
  文字文化と学校の成立 90
  律令制と貴族 91
  仏教寺院と文字文化 95
  武士の世界と「寺子屋」の系譜 96
  自然性と稽古論 99

第六章 近世社会と儒教文化 102
  世俗的規律化と儒教 102
  朱子学と徂徠学の人間観と教育 05
  貝原益軒の学習論 110

第七章 近世農村社会と文字の学び 113
  歴史人口学と農村社会 113
  手習塾(寺子屋)の学びについて 117
  手習塾(寺子屋)と往来物 120

第八章 近世社会と多様なスクールの成立 123
  手習から「教道」のスクール 123
  シツケ≠フ世界と手習塾 127
  多様なスクール――郷学・学問塾 129

第九章 西洋世界と教育学の成立――自然・生活・科学・活動(経験) 135
  事物から言葉へ 135
  市民と自然人 140
  生活が陶冶する 145
  科学的教育学へ 150
  学校は活動的な社会生活を営む小社会 153

第一〇章 自然観と近代教育 159
  肯定・受容としての自然 159
  批判・理想としての自然 162
  日本の近代教育の課題 165
  久米邦武の文明比較論 166

第一一章 作為と自然をめぐる教育論 168
  教育と教学をめぐって 168
  教育議論争の意味 170

第一二章 教学論と教育勅語(一) 174
  教育勅語とは 174
  元田永孚と教育史 176
  元田の教学論 179

第一三章 教学論と「教育勅語」(二) 189
  教学論と国民教育論 189
  政治(法)と教育(道徳)をめぐって 191

第一四章 普遍と個性をめぐる教育 194
  教えられない世界 194
  普遍と特殊 196
  普遍と個性 200

第一五章 おわりに――真理と平和を希求する人間 205
  普遍的にして個性豊かな文化 207
  未来の不確実性と希求する人間 212
  希求する人間の主体性 216

  あとがき 218


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