東ドイツ外交史
1949―1989

[著者] ヘルマン・ヴェントカー
[訳者] 岡田浩平

占領下の厳しい冷戦のなか、ドイツを分断して 1949 年に誕生した東ドイツ。わずか 40 年の短命国家の外交の任務はつねに、国の存立の保障の確保にあった。たえず国家の「存在の不安」に悩まされていたからである。本書を通じて、ベルリン問題の本質がわかるし、ハンガリー動乱、ベルリンの壁の建設、「プラハの春」、ブラント政権の「新東方政策」、度重なるポーランド騒擾など、現代世界史の真相があらためて生々しく迫ってくる。

定価=本体 8,400円+税
2013年2月25日
A5判上製/口絵4頁+764頁/ISBN978-4-88303-326-3


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[目次]

まえがき 13
テーマ、概念、規定のファクター 14/DDR外交についての研究 25/構成と時代区分 39

第1部 国際的な承認以前の東ドイツ外交(1945/49?―?1972)
   第1章 構造と人物:五〇年代における東ドイツの外交機関 43
     第1節 ソビエトの優越的地位、党指導部と党機関 43
     第2節 外交の主要機関としての外務省 55
     第3節 東ドイツ外交のツールとしての通商政策、文化、大衆組織 74
  第2章 建国以前の外交の端緒 83
  第3章 ソビエト指揮監督下の外交とドイツ政策(1949?―?1955) 93
     第1節 東ドイツ・ソビエト関係 93
           戦争結果の負担と東ドイツ・ソビエト関係 94/依存関係、経済関係と第二回党協議会の前史 99/
           東ドイツ・ソビエト関係の転換点である一九五三年 104/理論と実践におけるDDRの主権 110
     第2節 ドイツ再統一のための積極的なドイツ政策? 115
           DDRとソビエトのドイツ政策:基本的立場と最初にとった措置(1949?―?1951) 116/
           「スターリン・ノート」とDDR 121/ソビエトおよび東ドイツのドイツ政策(1953?―?1955) 126
     第3節 過去の重荷と「社会主義的な連帯」の旗印のもとでの接近:
     ポーランド、チェコスロヴァキアとの関係 131
           国境と少数民族 131/ソビエトの監督下における関係 137
     第4節 非社会主義的な世界への関係拡大の端緒 143
     第5節 中間の総括 153
  第4章 問題は相変わらず、存在感は増大する(1955?―?1961) 157
     第1節 衛星国家からジュニア・パートナーへ?:
     非スターリニズム下のソビエト関係、「イデオロギーのショーウインドー」と壁の建設 157
           フルシチョフとDDR(1955/56?―?1958) 159/ベルリン危機におけるソビエトとDDR 166
     第2節 国家連合のプロパガンダと隔絶分離の間を揺れるドイツ政策 178
           西ドイツに働きかけながらの、DDRの安全確保と安定化(1955?―?1956) 179/
           国家連合プランと国家連合のプロパガンダ 182/隔絶分離の政策 187
     第3節 東ドイツと「社会主義的兄弟国家」:ソ連共産党第二〇回党大会後の協調と抗争 190
     第二〇回党大会の中東ヨーロッパに対する影響 190/一九五六/
           五七年、危機の折のDDRと「社会主義的兄弟国家」 193/
           チェコスロヴァキアとDDRの関係(1957?―?1961) 200/
           DDRとポーランド関係の展開(1957?―?1961) 202/
           五〇年代末の東ドイツ・チェコ・ポーランドの三国関係 207/
           東ドイツとユーゴスラヴィア間の外交関係の樹立 208
     第4節 自立かソビエトへの従属か? 東ドイツとアジアの共産主義国家との関係 212
     第5節 東ドイツ外交の障害としての「ハルシュタイン・ドクトリン」 217
           DDR外交の重点地域としての近東と南アジア 220/DDRによるアフリカ「発見」 225/
           DDRと「資本主義的ヨーロッパ」 229
     第6節 中間の総括 240
  第5章 持続と変化の間で:六〇年代における外交機関 243
     第1節 党機関における持続と変化 244
     第2節 六〇年代における外務省の組織と人員 249
     第3節 東ドイツの外交機関のなかの「社会的な」組織 261
  第6章 新たな挑戦と変わらぬ目標との間で:六〇年代における東ドイツ外交(1961?―?1969) 269
     第1節 ソビエトとの関係 269
           ベルリン問題、単独講和条約、東ドイツ・ソビエト間の諍いとしての経済政策 271/
           フルシチョフの緊張緩和政策下の東ドイツ・ソビエト関係(1963?―?64) 278/
           ブレジネフ時代の初期(1964?―?69)における東ドイツ・ソビエト関係のアンビヴァレンツ 287
     第2節 承認獲得政策としてのドイツ政策 297
     第3節 軽量級から重量級へ:東側ブロックのなかの東ドイツ 315
           東側ブロック多国間連合のなかのDDR 315/
           「プラハの春」までのポーランドおよびチェコスロヴァキアとの二国間関係 322/
           「プラハの春」の折のDDRと東側隣国 332
     第4節 中ソ対立の陰のもとで:東ドイツと極東の共産主義諸国 344
     第5節 第三世界と非社会主義的ヨーロッパにおける承認獲得攻勢 349
           重点地域としての近東 352/南アジア、東南アジアにおけるDDR 363/
           アフリカにおけるDDR 367/副次的舞台としてのラテンアメリカ 376/
           非社会主義的なヨーロッパにおけるDDRの徒労に終わった努力 378
     第6節 中間の総括 398
  第7章 モスクワとボンとのはざまで:東ドイツと「新東方政策」(1969?―?1972) 403
     第1節 一九六九年一〇月二八日のブラントの政府声明に対する東ドイツの反応 405
     第2節 エアフルトとカッセルの会談、モスクワ条約の締結 410
     第3節 東ベルリンの権力交替とトランジット協定の交渉 418
     第4節 交通協定の交渉およびブラント不信任案の頓挫 424
     第5節 基本条約への道 428
     第6節 東ドイツ・ポーランド関係と「新東方政策」 437
     第7節 「新東方政策」の最初の数年における東ドイツの承認獲得政策 443
           DDRのアフリカ、アジア、ラテンアメリカにおける努力 445/国連加盟へと重点を移す 449/
           北欧・西欧におけるDDRの積極的活動 451
     第8節 中間総括 459

第2部 「基本条約」後の東ドイツ外交(1973―1989)
   第8章 七〇年代/八〇年代における東ドイツの外交機関 463
     第1節 ソビエトの優越した立場の変化 463
     第2節 外交におけるホーネッカーの中心的な役割 468
     第3節 党中央委員会の外交機関の変化 475
     第4節 東ドイツ外交の実行機関としての外務省 482
     第5節 政治アドバイスの機関、その他の機関 488
  第9章 順応と自立の間で:ホーネッカー時代初期の東ドイツ外交(1973?―?1981) 493
     第1節 内政上の前提と条件 493
     第2節 原理的な従属にもかかわらず自負心は増大する:ソビエトとの関係 497
           ホーネッカー時代の初期におけるソビエトへの結びつきの強化 497/緊張した経済関係 502/
           ドイツ・ドイツ関係についてしだいに増すコントロール喪失 507/
           アフガニスタン侵攻、NATOの二重決議と東ドイツ・ソビエト関係 512
     第3節 連携と隔絶分離のドイツ内関係 517
           「基本条約」後の取り決めとしてのドイツ・ドイツ間協定:DDRの視点に立った典型的な事例 519/
           ドイツ・ドイツ間交渉チャンネルの確立とDDRにとっての意義 521/
           最初の交通協定にいたる茨の道:1973?―?1975年の間の接触 525/
           態度硬化にもかかわらず緊張緩和は持続:一九七八年一一月の交通協定にいたる道 528/
           国際的な緊張増大の影に覆われたドイツ・ドイツ間関係(1979?―?1981) 530
     第4節 東側ブロック内の東ドイツ:連携と諍いの間をいくチェコスロバキアおよびポーランドとの関係  538
           一九七二年の東ドイツ・ポーランド国境開放の由来と影響 540/
           緊張に満ちた東ドイツ・ポーランド経済関係 544/DDRと一九八〇/
           八一年のポーランドにおける騒擾 545
     第5節 西側による承認:東ドイツ西側政策の目標と結果 554
           DDRの国連政策 555/DDRと「ヨーロッパ安全保障協力会議」 559/
           承認後の西側諸国との二国間関係 564
     第6節 第三世界における東ドイツ:ソビエトのジュニア・パートナー? 576
           重点地域としてのアフリカ 578/近東、アジア、ラテンアメリカにおけるDDR 587
     第7節 中間の総括 594
  第10章 飛翔と転落:八〇年代における東ドイツ外交 597
     第1節 ソ連との意見の違いの顕在化 597
           連結から外れて意見の対決へ(1981?―?1984) 598/
           ゴルバチョフ時代(1985?―?1989)の再接近とあらためての亀裂 608
     第2節 依存度の増加と隔絶分離低減とのはざまで:ドイツ・ドイツ間関係 626
           DDRとボンにおける「転機」 627/
           ドイツ・ドイツ間関係の拡大と負担めいた要素(1983?―?1986) 630/
           DDRの外交的打算のなかにおけるSPD 639/
           ホーネッカーのボン訪問:ドイツ・ドイツ間関係の頂点と転換点 644/
           停滞から破局へ:ドイツ内関係(1987?―?1989) 647
     第3節 西側への開放が進むなかでの東ドイツと東側ブロック隣国 652
           正常化はみられず:東ドイツ・ポーランド関係 652/
           他の東側ブロック諸国との関係における安定と変化 660
     第4節 モスクワからの自立の増大:東ドイツ・中国の接近 665
     第5節 第三世界に対する最大限の影響とそこからの撤退 671
           醒めた意識と政治路線の修正(1981?―?1985)672 /
           南方政策の経済重視の強まり(1981?―?1985) 677/
           第三世界との反帝国主義的な連帯からの離脱と、第三世界の意義の低下(1986?―?1989) 679
     第6節 西ヨーロッパやアメリカとの関係の停滞 682
     第7節 中間の総括 691

  結びの考察 695

     訳者あとがき 708
     参考文献 014
     人名文献 004
     事項索引 001


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