西洋美術研究 |
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2002年5月10日発行 2002年5月/A4判変型並製/208頁/ISBN978-4-88303-091-0 |
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中村俊春 パラゴーネをめぐる雑記 〈pp. 4-7〉
フランシス・エイムス=ルイス イメージとテクスト:パラゴーネ カスティリオーネの『宮廷人』にみられるように、絵画と彫刻のパラゴーネは、ルネサンス期の知識人にとって議論に値するテーマとなっていた。しかし画家や彫刻家も初期ルネサンスにおいてすでに、パラゴーネを自らの営為に関わる重要な論題と認識し、著述を試みたり、美術制作の実践を通じて様々に主張を展開した。その諸相をテクストおよび作品の具体的事例を取りあげながらながめてゆく。 〈pp.
8-22〉 平川佳世 デューラー作《ランダウアー祭壇画》をめぐって イタリアで絵画と彫刻のパラゴーネが論じられつつあった16世紀初頭、ドイツにおいてデューラーが直面していたのは、教会装飾の注文をめぐる彫刻家との現実的な競合であった。本論では、デューラー中期の代表作《ランダウアー祭壇画》を端緒に、祭壇装飾における絵画と彫刻の礼拝像としての位階や、工房の専門化と作品報酬の格差の問題など、ニュルンベルクにおける画家と彫刻家の競合について考察する。 〈pp. 23-41〉 松原典子 スペインにおけるパラゴ−ネ スペインにおけるパラゴーネの問題は、この論争自体の不毛さ、あるいはスペインの美術理論全般がイタリアのそれの反復に過ぎないという否定的評価ゆえか、これまで等閑に付されてきた感がある。しかし、本稿で取り上げるエル・グレコとフランシスコ・パチェーコは、前者は実作との関連において、後者は17世紀スペインの美術的慣習との関連において、イタリアにも先例を見ない独自のパラゴーネを展開したのであった。 〈pp. 42-56〉 中村俊春 ルーベンスの古代彫刻への視線とアンニバレ・カラッチとの接点 ルーベンスは、古代彫刻の重要性を認めながらも、石の材質感を模倣せずに、人体を肉からなる存在として描くべきであると主張していた。この見解のもと、彼がどのように古代彫刻の研究を行い、如何にそれを活用したのかを考察する。加えて、この見解が、アンニバレ・カラッチを中心とした反マニエリスムの潮流と共通することを指摘し、ルーベンスが所蔵していたアンニバレ作の素描、および彼の絵画に基づく模写素描について検討する。 〈pp. 57-75〉 鈴木雅之 18世紀イギリスにおける芸術の位階とその消滅 ウィリアム・ブレイクの作品の多くは、詩・言葉(言語テクスト)と絵・挿絵(視覚テクスト)から成り、双方の密接な関係が彼の作品を特徴づけている。本論では、18世紀イギリスにおいて盛んに議論された、諸芸術間の交流・競争・比較・同化、および芸術の位階を巡る議論を歴史的に辿る。その過程で、ブレイクの芸術理論とその実践が、西欧文化のなかで連綿と受け継がれてきた「詩は絵のごとく」の主題とどのように関わっているかを跡づける。 〈pp. 76-89〉 三浦篤 エドゥアール・マネにおける写真と絵画 写真が新しい視覚メディアとして流行する19世紀中葉のフランスにおいて、画家マネも自らの肖像写真を撮らせ、写真アルバムを所有し、作品の複製写真を作らせていた。しかし、マネの作品そのものに対して、写真はその素材や補助手段、刺激やヒントになり得たとしても、本質的な影響を与えることはなかった。19世紀の写真は伝統的な絵画を模倣し、マネや印象派などの前衛画家は当時の写真とは異質の斬新な表現を独自に創出したのである。 〈pp. 90-107〉
近藤學 絵画の危機、彫刻の優位:1940年代末のクレメント・グリンバーグ 〈pp. 108-114〉
吉田朋子 ベルニーニとパラゴーネ:シャントルーの『日記』抄訳」 〈pp. 115-132〉 小佐野重利 ベネデット・ヴァルキ《彫刻あるいは絵画の、いずれがより高貴なりや》(第二の論議) 〈pp.
133-150〉
芳賀京子 Salvatore Settis, Laocoonte. Fama e stile 〈pp. 151-158〉 森雅彦 Deborah Parker, Bronzino:Renaissance Painter as Poet 〈pp. 159-168〉 坂上桂子 Michele Hannoosh, Painting and
the <Journal> of Eugene Delacroix 〈pp.
169-173〉
金原由紀子/編 〈pp. 174-184〉
若山映子 カラヴァッジョとローマの天才 1592-1623」展 青野 純子 ヘリット・ダウ(1613-1675)」展 大森達次 ルノワール:異端児から巨匠への道 1870-1892」展 |